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南インド古典舞踊ケララナタナム

ケーララナタナムは、1930年代、カタカリの偉大な指導者であるグル・ゴーピナートとその妻でモヒニアッタムダンサーのタンカマニが生み出 した比較的新しい舞踊です。身体の動き、ジェスチャーによる物語表現と、顔の表情による感情表現に同等の重きがおかれています。舞踊が表現す るテーマもヒンドゥー神話だけでなく、聖書や政治的問題まで、というところにはケーララの風土の特色が出ているようです。

ケーララの舞踊劇の代表格カタカリは、複数の男性によって演じられますが、ケーララナタナムは、女性が1人で何 役もこなして物語を表現することを可能にしました。ケーララナタナムは、男性的で力強いカタカリのステップと、女性的で優雅なモヒニアッタム の動きの両方を使って物語を語ります。

ケーララナタナムの衣装やメイクは、かつては役柄に応じて選ばれていましたが、現在は、昔のケーララ王族の王女 の装束を想わせるスタンダードの衣装があります。結いあげた髪のトップにはトゥルシーという薬草を飾ります。

 

創始者のグル・ゴーピナートは1908年、現在のケーララ州(1908年はトラヴァンコール藩王国で、州名はな い)で長い歴史をもつカタカリ舞踊家一族に生まれ、13歳の時にカタカリの初舞台を踏み、その後も多くの偉大な指導者のもとで厳しい訓練を受 け有名な舞踊家となりました。1932年に彼の才能に惚れこんだアメリカ人舞踊家ラーギニ・デーヴィー(ケーララ・カラマンダラム芸術学校に おける初の外国人生徒であり、偉大な舞踊家インドラニ・レーマンの母)に当時のボンベイに招待され新しい舞踊の創作に取り組み、インド国内や ヨーロッパで公演を行いました。その後、ケーララに戻り、モヒニアッタムの舞踊家タンカマニと結婚し、夫婦共に古典舞踊の伝統の枠を広げ、カ タカリの新しい訓練法を考案、カタカリのダイナミックなスタップと表現、モヒニアッタムの優雅な動きをとりいれケーララナタナムを生み出し て、国内外で上演し、高い評価を得ました。

1930年代初め、グル・ゴーピナートのパフォーマンスを見たラビンドラナート・タゴールは彼を「真の芸術家」 と絶賛し、ケーララナタナムがインド芸術における舞踊の地位復興への道の灯となるであろうと評価しました。

インド国立芸術院より現役芸術家に対する国家最高位の表彰を受けるなど、多数の栄誉ある賞を受賞、また、タゴー ル大学より文学博士号を授与されています。

グル・ゴーピナートは1987年10月9日、振付家としての遺作『ラーマーヤナ』舞踊劇の上演中に、衣装を着け たまま舞台の上で亡くなりました。ステージで人生の終焉を迎えるという念願の通りであったそうです。

彼の死後、ケーララナタナムはどのように受け継がれてきたのでしょうか。ケーララ州は、学生のダンス・コンクー ルが盛んです。モヒニアッタムだけでなく、バラタナティアムやクチプディ、カタカリなど、全ての種目の総合得点が高いほど、就職や結婚が有利 になると言われ、人生がかかった真剣勝負なのです。コンクールに勝つためにと、親も子の舞踊教育に金に糸目をつけません。その結果、踊りの芸 術性や精神性が置き去りにされるだけでなく、様々なスキャンダルも起こります。

ケーララナタナムもコンクールの種目に含まれていますが、逆に言えば残念なことに、コンクール以外の場でケーラ ラナタナムを見る機会のほうが稀です。

ケーララ州政府も、ケーララナタナムの保護に乗り出しました。トリヴァンドラムの郊外にグル・ゴーピナートの名 前を冠した舞踊学校を設立。コンクールで競うだけではなく、グル・ゴーピナートが遺したものを正しく受け継いでいくことが学校の目的です。自 然豊かな広い敷地の中庭には円形劇場があり、たくさんの稽古場が点在しています。2013年には博物館や寮が完成予定です。ケーララナタナム が本来の姿を取り戻し、インドの代表的な踊りのひとつとして、その名が再び世界中に広まる日は遠くないと信じています。